カープを支えるベテラン堂林翔太選手。
チャンスに強いバッティングで、チームの危機を何度も救ってきました。
しかし、プロとして歩んできた道のりは決して順風満帆とは呼べないものでした。
今日はカープ一筋の堂林翔太選手について掘り下げて紹介していきます。
堂林翔太選手のプロフィール
- 名前 堂林 翔太
- フリガナ ドウバヤシ ショウタ
- 生年月日 1991年8月17日
- 出身地 愛知県豊田市
- 身長 183cm
- 体重 92kg
- ドラフト年 2009年
- ドラフト順位 2位
- 経歴 豊田リトル-豊田シニア-中京大附属中京高等学校-広島東洋カープ
堂林翔太選手は小学2年生の頃に、野球をやっていた二人の兄の影響で地元の「豊田リトル」にて野球を始めました。
豊田リトルからプロ野球選手になったのは堂林選手のみで、まさに地元の星ですね。二人の兄も甲子園には出場していますが、プロの道には進まなかったようです。
中学校に入学し所属チームも「豊田シニア」になると、その後の高校、カープ入団後まで続く長い付き合いとなる磯村嘉孝(いそむら よしたか)選手と出会います。
豊田シニアでは堂林選手は投手兼遊撃手を務め、磯村選手が捕手としてバッテリーを組むことで活躍していきました。
堂林選手は高校入学を待たずして、中学時代から少しずつ全国に勇名をはせていきます。宮城で開かれた国際大会に名古屋北シニアの補強選手としても出場し、その当時東北選抜だった菊池雄星選手と対戦しています。
兄と同じ野球の名門校「中京大附属中京高等学校」に進むと、実力を買われ1年生の時点で投手としてベンチ入りを果たし、その年の秋から2年生の秋にかけては打撃力のある一塁手として活躍しました。
2年の夏の第90回全国高等学校野球選手権大会予選では準決勝で愛知啓成に敗退してしまいます。
秋から新体制となったチームではエースで4番に抜擢され、抜群の制球力で春選抜の愛知予選4試合を完投。
念願叶って出場した、第81回選抜高等学校野球大会では準々決勝まで駒を進めますが、兵庫の報徳学園に敗れベスト8となっています。
側から見ればここまででも相当優秀な成績を残している堂林選手ですが、学生時代から「ベースボールサイボーグ」と呼ばれるほど、勝利を追求していくストイックな選手でした。
そんな堂林選手をさらに輝かせたのは3年夏の第91回全国高等学校野球選手権大会、堂林選手率いる中京大中京はついに優勝を果たします。
この優勝を持って中京大中京は春夏通算11度の優勝を果たし、甲子園史上最多優勝校になります。
この数字は現在ではさらに伸びて17回の優勝を経験している、まさに全国でトップの野球推進校です。
日本文理高校との決勝戦では途中から降板し右翼手に回ったものの、先制2点本塁打を放ち、4番としての役目を大いに果たしチームに優勝をもたらしました。
夏の大会を通しての成績は打率.522、12打点を記録しており、素晴らしい成績と結果で高校生活を締めくくりました。
投手としても野手としても多彩な技術と、野球へのストイックさはスカウトから高く評価され、2009年のドラフト会議では広島東洋カープからドラフト2位の指名を受け、契約金7000万、年俸700万でプロ入り契約を結びました。
プロ入り1年目の2010年は元々投手であった堂林選手は、二軍で野手としての経験を積んでいきます。初年度の成績は打率.203、7本塁打、32打点となっています。
続く2011年も二軍で少しずつ力を貯めていく堂林選手は2012年、野村謙二郎監督の抜擢でプロ3年目にして開幕一軍の席を獲得します。
3月30日の開幕戦で一軍初安打を放つと、4月25日の一軍初ホームランを皮切りに、シーズン通算14本塁打を記録しこの年のチーム最多記録を残しました。
オールスター戦や侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」にもファンから選ばれて出場。左右どちらにも打ち分けられる技術の高さと、本塁打も狙えるパワーを存分に発揮し、野手として大きく注目を集める1年となりました。
翌年2013年、シーズン中盤の8月、中日戦で受けた死球により、左手中指を骨折してしまい戦線離脱を余儀なくされますが、2014年には本調子でないものの復活。
プライベートでも当時TBSアナウンサーとして活躍していた枡田絵理奈さんとの結婚を発表しました。
しかし、ここから堂林選手は長い成績不振に悩まされます。
2015年のオープン戦で成績が振るわず二軍に降格し開幕一軍を逃してしまいます。
結局今シーズンは一軍での試合はわずか33試合、プロ入りして初めて本塁打を残すことができませんでした。
続く2016年チームは25年ぶりのセリーグ優勝を果たし、カープファンを大いに沸かせました。
堂林選手も4月26日のヤクルト戦で、5番のブラッド・エルドレッド選手、6番の鈴木誠也選手につづきホームランを放ち、三者連続本塁打を達成する活躍を残しました。
しかし、その後の成績は振るわず、シーズン中は14安打、2本塁打にとどまります。
チームの優勝に貢献できなかったとし、優勝記念旅行を辞退。
オフ期間中も筋力トレーニングやフォーム改善、さらには炎の前で不動真言を唱え精神を鍛錬する護摩行までも行い、自らの全てを見直します。
このことからも、堂林選手がいかに野球と向き合っているかが想像できます。
2017年、3年ぶりに開幕一軍での出場を達成。成績が安定せず、一軍に定着することは叶わなかったものの、代打や50m走6.2秒の俊足を活かし代走でも起用され、堂林選手の努力する姿は変わらず評価されていました。
チームは2年連続となるリーグ優勝を果たしました。
2018年、2019年共に目立った活躍はできず、2019年のシーズンでは自己過去最低となる打率.206の成績となりました。
しかし翌年の2020年、これまでの努力を野球の神様が見ていたかのように堂林選手は覚醒します。
2020年、これまで崩れることの多かったオープン戦と練習試合で成績を維持、6番一塁手で6年ぶりとなる開幕スタメン出場を果たします。
この試合で安打こそなかったものの、翌日の試合では4安打を放ったことを皮切りに絶好調が続き、8月までの打率はなんと4割以上を記録していました。
シーズンを終えてみれば、キャリア最高となる打率.279、14本塁打、58打点、17盗塁をマークし、見事な復活を果たしました。
堂林選手はプロ野球でのキャリアを全てカープで過ごしており、FA権を取得した2021年もカープ残留を決定し、広島を愛してくれている選手です。
このことに対して堂林選手は「愛着あるカープでこれからもお世話になっていきたい。」と謙虚なコメントを残しています。
インタビューでは痩せやすい体質だと話している堂林選手ですが、シュッとした長身のスタイルと甘いマスクで高校時代は「尾張のプリンス」カープ入りを果たしてからは「鯉のプリンス」との異名をとっています。
堂林翔太選手の初記録は?
堂林翔太選手の初記録をまとめてみました。
- 初スタメン、初ヒット 2012年3月30日 中日ドラゴンズ戦 吉見一起投手から初ヒット
- 初打点 2012年4月12日 阪神タイガース戦 安藤優也投手から初打点となる先制ヒット
- 初ホームラン 2012年4月24日 阪神タイガース戦 ランディ・メッセンジャーから一軍初本塁打
- オールスター初出場 2012年7月21日 球団史上最年少でオールスター初出場
- 侍ジャパンマッチ初出場 2012年11月18日 キューバとの国際試合に日本代表選手として出場
プロ入り3年目にして開幕初出場を果たすと、その年のオールスターと日本代表選手にも選ばれており、若手としてかなり注目されていたことがわかります。
思い切りの良いスイングを見せた1年でチーム最多の150三振を記録しています。
堂林翔太選手の背番号は?
堂林翔太選手の背番号は「7」です。カープにとって「7」は特別な背番号で、当時の野村謙二郎監督が現役時代に背負って以降、ふさわしい選手が現れるまでは与えられなかった「半永久欠番」の数字でした。
入団当初はニューヨークヤンキースのアレックス・ロドリゲス選手のようになって欲しいという願いから「13」の背番号を与えられていましたが、プロ4年目にして野村監督から球団に若手に譲ってほしいとの申し出があり、昨年チーム最多の14本塁打を記録した堂林選手に「7」が与えられることになりました。
野村監督や球団からの期待の大きさがわかる出来事ですね。
堂林翔太選手の応援歌は?
堂林翔太選手の応援歌を紹介します。
『光り輝く その道を 翔けぬけて魅せろ 堂林SHOW TIME!』
甲子園での輝かしい活躍と、50m走6.2秒を誇る俊足の堂林選手を思い起こさせ、何か起こしてくれそうな素敵な歌詞になっています。
堂林翔太選手の歴代登場曲は?
堂林翔太選手の歴代登場曲をまとめました。
- 「Real World」EXILE
- 「スピリッツ」いきものがかり
- 「Happy Song」西野カナ
- 「あの虹」カミナリグモ
- 「BE TOGETHER」鈴木亜美
- 「ひまわり」TUBE
- 「Fly Away」堂珍嘉邦
- 「いこう」いきものがかり
堂林選手の登場曲は爽やかな邦楽が選出されているようですね。「鯉のプリンス」にぴったりな印象の良い曲ばかりです。
堂林翔太選手の契約金・年棒は?
堂林選手の契約金は、7000万円です。キャリア13年の年俸もまとめてみました。
- 2010年 700万円
- 2011年 700万円
- 2012年 700万円
- 2013年 1700万
- 2014年 2000万
- 2015年 2000万
- 2016年 1830万
- 2017年 1650万
- 2018年 1500万
- 2019年 1600万
- 2020年 1600万
- 2021年 3600万
- 2022年 3600万
キャリアの中盤、怪我をきっかけとした成績不振に悩まされ年俸が下がったシーズンもありましたが、ここ2年は自身の最高額となる3600万が年俸となっています。
堂林翔太選手の同期は?
堂林翔太選手の同期をまとめました。
ドラフト1位
今村 猛(いまむら たける)清峰 182cm 85kg 右投げ右打ち
ドラフト3位
武内 久士(たけうち ひさし)徳島城東~法大 185cm 95kg 右投げ右打ち
ドラフト4位
庄司 隼人(しょうじ はやと)常葉学園橘 175cm 70kg 右投げ左打ち
ドラフト5位
伊東 昂大(いとう こうた)盛岡大付 186cm 80kg 左投げ左打ち
ドラフト6位
川口 盛外(かわぐち たけと)静岡~早大~王子製紙173cm 79kg 左投げ左打ち
育成1位
永川 光浩(ながかわ みつひろ)三次高→龍谷大 189cm 84kg 左投左打
育成2位
中村 亘佑(なかむら こうすけ)神奈川→横浜商大高 181cm87kg 右投右打
堂林選手以外は既にプロを引退しています。カープファンとしては堂林選手にはできるだけ長く現役を続行してほしいですね。
堂林翔太選手のドラフトの評価!
堂林翔太選手は、菊池涼介選手や九里亜蓮選手を担当した松本有史(まつもと ともふみ)スカウトにより指名されました。
夏の甲子園で主役だった堂林選手はどの球団からも注目されていました。
ドラフト1位もしくは2位での地元中日からの指名が目されていましが2位以下の優先権がカープにあり、広島が無事契約に漕ぎ着けました。
各球団からのコメントでも「プロでは3番4番の強打者になれる」「右肘をあんなに柔らかく使える高校生はいない」「既にプロ級で高校生の中では間違いなく一番」「オーラがある」と絶賛されていました。
堂林翔太選手の野球道具は?
堂林翔太選手が使用している野球道具やメーカーをまとめました。
- グローブ MIZUNO
- スパイク MIZUNO
- バット MIZUNO
- 防具 MIZUNO
堂林選手は野球に使う道具を全てMIZUNOで揃えているようです。
使い慣れたメーカーを選ぶことが、堂林選手がチャンスに強い秘密なのかもしれません。
