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秋山翔吾の年棒や登場曲、メジャー成績が気になる!

2022年のシーズン途中にメジャーリーグから以前所属していた西武ライオンズではなく広島東洋カープに加入し、日本球界に復帰した秋山翔吾選手。

今回の記事では、秋山翔吾選手について深堀りしていきますので最後までご覧ください!

目次

秋山翔吾選手のプロフィール

  • 名前 秋山 翔吾
  • フリガナ アキヤマ ショウゴ
  • 生年月日 1988年4月16日
  • 出身地 神奈川県横須賀市
  • 身長 184cm
  • 体重 87kg
  • ドラフト年 2010年
  • ドラフト順位 3位
  • 経歴 横須賀市立大津小学校-横須賀市立大津中学校-横浜創学館高等学校-八戸大学(現・八戸学院大学)-埼玉西武ライオンズ-シンシナティ・レッズ-広島東洋カープ

秋山翔吾選手は2歳で野球を始め、幼稚園を卒業した1995年の卒業文集に秋山翔吾選手は幼いながらも「やきゅうせんしゅになりたいです。いちろうみたいにひっとうちたいです。」と書いていました!

そんな秋山翔吾選手は横須賀市立大津小学校に進学し、1年生のときに地元のソフトボールチーム「大津スネークス」に入部。

野球に対して厳しかった父親から教えを受けた秋山翔吾選手は、小学生のときに右投げ左打ちに変更したといいます。

左打ちになった理由は「コンマ数秒でも早く一塁へ到達できるように」とのこと。

また、秋山翔吾選手は小学生のときは毎日父親と厳しい練習をしていましたが、秋山翔吾選手が小学生のときに父親が他界しています。

しかし、父親がいなくなっても、秋山翔吾選手は毎日神社の階段で壁当てすることや素振り100回を誰にも言われず自分に課題を課して練習していました。

また、小学生時代には、野球とは別にその後進学することになる横須賀市立大津中学校の陸上部に入部し中学生と同じ練習をしていたようです!

そして、小学6年生のときに秋山翔吾選手は大津スネークスとの掛け持ちで、軟式少年野球チーム「湘南武山フェニックス」に入団しました。

ソフトボールチームと軟式少年野球チームを掛け持ちするのはなかなかない経験ではないでしょうか!

湘南武山フェニックスでは全てのポジションで活躍。

当時湘南武山フェニックスの監督だった田村仁さんは秋山翔吾選手について「技術的な指導を行った記憶はない」「すでにお父さんと一緒にかなり厳しい練習をしていたから横から口出ししない方がいいと判断した」とコメント。

さらに「試合中も気を抜かないし凡ミスするようなことはまずなかった」「自分に厳しくすることができる子どもだったから翔吾をしかった記憶はない」と語っています。

横須賀市立大津小学校を卒業後、横須賀市立大津中学校に進学し、硬式野球チーム「横浜金沢リトルシニア」に入団した秋山翔吾選手。

横浜金沢リトルシニアに入団した決め手として秋山翔吾選手は下記のようにコメントしています。

「何チームか練習を見に行った結果1番練習が厳しかったのが横浜金沢リトルシニアだった」「今では絶対に許されないような厳しい練習を目の当たりにして僕はそんな環境に惚れ込んで入団を決めた」

秋山翔吾選手が見込んでいたとおり、横浜金沢リトルシニアの練習は厳しく、台風がきてもあらかじめ練習が中止になることはなく、一度はグラウンドに集まっていたのだとか。

また、大会が近づいてきていても実戦形式の練習ではなく、基礎練習を何回も繰り返していたそうです。

秋山翔吾選手も「毎週末の練習をどうやってクリアしていくかしか考えていなかった」「試合をした記憶はほとんどなく、思い出せるのはグラウンドでの厳しい練習と指導者に怒られたことだけ」とコメントしています。

また、野球とは別に中学校の陸上部にも所属し、陸上部の練習に参加していたようです!

横須賀市立大津中学校を卒業した秋山翔吾選手は、複数の高校からスカウトがあったものの、それを断り、横浜創学館高等学校に進学し、野球部に入部。

横浜創学館高等学校では1年生でレギュラーとなり、3年生ではキャプテンを務めました。

しかし、3年生の夏は県大会ベスト8で敗退し、高校3年間で甲子園に出場することはありませんでした。

高校時代の秋山翔吾選手はプロのスカウトからも注目される存在でしたが、ドラフト会議では指名されることはなく、地元神奈川県を離れ、青森県にある八戸大学に進学します。

八戸大学では1年生から1番バッターとして試合に出場し続け、春・秋と連続でベストナインを獲得。

当時八戸大学の監督だった藤木豊さんは秋山翔吾選手について「すごい努力をする選手だった」「多少のケガなら痛いということはなかったし黙々と練習をしていた」とコメントしています。

ですが、2年生の春から3年生の春までの約1年間、秋山翔吾選手は1年生の活躍と打って変わって打撃が低迷し始めました。

監督の藤木豊さんはそんな秋山翔吾選手を見て、さまざまなバッティングフォームの修正を図った結果、3年生の秋からは、1年生で活躍していたときの輝きを取り戻します。

4年生の春には4番を務め、打率.486、打点14で、優秀選手賞、首位打者、最多打点、ベストナインの4冠を獲得していました!

その後、2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて埼玉西武ライオンズから3巡目に指名を受け、入団。

2011年のルーキーイヤーには、球団新人外野手としては30年ぶりとなる開幕のスタメンを9番ライトで迎えます。

そして、開幕2戦目となった北海道日本ハムファイターズ戦でプロ初ヒットと初打点を記録しています!

秋山翔吾選手の初記録は?

秋山翔吾選手の初記録については調べてみました!

  • 初出場、初スタメン 2011年4月12日 北海道日本ハムファイターズ戦 9番ライト
  • 初打席 2011年4月12日 北海道日本ハムファイターズ戦 3回表にダルビッシュ有投手からデッドボール
  • 初ヒット、初打点 2011年4月13日 北海道日本ハムファイターズ戦 2回表にブライアン・ウルフ投手からセンター前のタイムリーヒット
  • 初盗塁 2011年4月20日 千葉ロッテマリーンズ戦 3回表に二盗(投手:唐川侑己投手、捕手:里崎智也選手)
  • 初ホームラン 2011年9月8日 千葉ロッテマリーンズ戦 4回裏に小林敦投手からライトにツーランホームラン

メジャーリーグ

  • 初出場 2020年7月24日 デトロイト・タイガース戦 6回裏に代打で出場
  • 初安打、初打点 2020年7月24日 デトロイト・タイガース戦 6回裏にホセ・シスネロ投手からセンター前タイムリーヒット
  • 初スタメン 2020年7月25日 デトロイト・タイガース戦 6番レフト
  • 初盗塁 2020年7月26日 デトロイト・タイガース戦 2回裏に二盗(投手:スペンサー・ターンブル投手、捕手:グレイソン・グレイナー選手)

秋山翔吾選手はルーキーイヤーに初記録はすべて達成しており、メジャーリーグでも同じカードで達成しています!

秋山翔吾選手の背番号は?

秋山翔吾選手の背番号ですが、埼玉西武ライオンズでは、2011年からメジャーリーグ移籍までの2019年まで「55」を使用していました。

シンシナティ・レッズに移籍した2020年からは背番号「4」をつけ、2022年途中までプレイした後に広島東洋カープに移籍。

広島東洋カープでは背番号「9」となりました。

広島東洋カープで背番号「9」をつけて活躍した主な選手としては、1996年から2009年まで走攻守の三拍子そろった外野手でチームに貢献し、監督としては2016年から2018年までチームを3連覇に導いた緒方孝市さん。

2014年から2018年までプレイし、2022年現在は読売ジャイアンツに所属の丸佳浩選手が使用していた背番号で、好打者の証でもあります!

また、日本代表では、初選出となった2012年侍ジャパンマッチ2012のキューバ戦では背番号「9」。

2015年のWBSCプレミア12、2017年のワールド・ベースボール・クラシックでは、当時所属していた埼玉西武ライオンズで使用していた背番号「55」をつけてプレイしました。

秋山翔吾選手の応援歌は?

秋山翔吾選手は2022年途中に広島東洋カープに移籍してきたため、応援歌は作られていないことがわかりました。

また、広島東洋カープは2020年のコロナウイルス感染症が流行して以降、応援歌をホームであるMAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島を含めたすべての球場で流していません。

そのため、埼玉西武ライオンズ時代に使用していた応援歌を紹介しますね。

【前奏:秋山決めてくれ 全力で闘え】勝利を呼び込む 風になれ 全てを超えろ 秋山翔吾

秋山翔吾選手の歴代登場曲は?

秋山翔吾選手の埼玉西武ライオンズ時代から広島東洋カープの2022年現在までの

歴代登場曲について調べてみました!

埼玉西武ライオンズ時代

  • 「メダリスト」つるの剛士
  • 「人にやさしく」THE BLUE HEARTS

広島東洋カープ時代

  • 「kagero」嵐
  • 「メリッサ」ポルノグラフィティ
  • 「Us」CHEMISTRY

埼玉西武ライオンズ時代の登場曲である「人にやさしく」は、秋山翔吾選手の代名詞でもあり、サビ部分では「ガンバレ!」の部分をファンが合唱することで有名でした。

しかし、広島東洋カープに加入後は人にやさしくは使用せず、「kagero」「メリッサ」「Us」の3曲を打席ごとに変えて使用しています。

秋山翔吾選手の契約金・年棒は?

秋山翔吾選手は2022年途中に広島東洋カープに3年総額約5億円で契約しています!

秋山翔吾選手は2022年に日本球界に復帰するにあたり、広島東洋カープと古巣の埼玉西武ライオンズ、福岡ソフトバンクホークスの3球団が獲得に名乗りを挙げていました。

古巣の埼玉西武ライオンズは2年契約の2億円。

福岡ソフトバンクホークスは3年契約で3億プラス出来高払いだったとのこと。

しかし、広島東洋カープの熱意と新しい環境で力を試してみたいという思いから、以前までのパ・リーグではなく、セ・リーグの広島東洋カープに入団を決めました!

秋山翔吾選手の同期は?

秋山翔吾選手と同じ2010年に埼玉西武ライオンズにドラフト指名を受けた選手を紹介していきます!

ドラフト1位

大石 達也(オオイシ タツヤ)福岡大大濠高-早稲田大 185cm 92kg 右投げ左打ち

ドラフト2位

牧田和久(マキタ カズヒサ)静清高-平成国際大-日本通運 177cm 88kg 右投げ右打ち

ドラフト3位

秋山 翔吾(アキヤマ ショウゴ)横浜創学館高-八戸大 184cm 87kg 右投げ左打ち

ドラフト4位

前川 恭兵(マエガワ キョウヘイ)阪南大高 188cm 83kg 右投げ右打ち

ドラフト5位

林崎遼(ハヤシザキ リョウ)東洋大姫路高-東洋大 175cm 80kg 右投げ右打ち

ドラフト6位

熊代聖人(クマシロ マサト)今治西高-日産自動車-王子製紙 175cm 72kg 右投げ右打ち

秋山翔吾選手の同期では、2018年に埼玉西武ライオンズからポスティングシステムでメジャーリーグのサンディエゴ・パドレスへ移籍し、埼玉西武ライオンズ、侍ジャパンとしても共に戦った牧田和久選手がいます。

それ以外の選手は2022年現在では現役を引退していることがわかりました。

秋山翔吾選手のドラフトの評価!

秋山翔吾選手は身体能力が高く、走攻守三拍子そろった外野手として、複数球団から興味を示されていました。

東北楽天ゴールデンイーグルスのスカウトや東京ヤクルトスワローズのスカウトも注目選手として秋山翔吾選手を見ていたとのこと。

また、福岡ソフトバンクホークスは2010年のドラフト会議で、2位指名に秋山翔吾選手を検討し、指名することはほとんど決まっていたようです。

しかし、直前に王貞治会長から長距離砲の獲得を求められた結果、急遽方針を変更し、柳田悠岐選手を指名していたことがわかりました!

秋山翔吾選手の野球道具は?

2022年に秋山翔吾選手が使用していた野球道具のメーカーについては下記のとおりです!

  • サングラス オークリー
  • スパイク SSK
  • グローブ SSK
  • バット SSK
  • バッティンググローブ SSK
  • エルボーガード SSK
  • レガース SSK

秋山翔吾選手はSSKのアドバイザリー契約を結んでいることから、SSKの野球道具を使用していることがわかりました!

また、サングラスに関しては、プロ野球界で多くの選手が使用しているオークリーのサングラスを使用しています!

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